料理の才能があるのかもしれない

日常的に料理をする環境にあるのですが、レシピを見て作ったことがありません。「見ながら作る」どころか、いわゆるクックパッドや料理本の類を読んだことがないのです。強いて言えば小学生のころ、戦隊ヒーロー番組の前時間にやっていた料理番組を少し見ていた程度ですが、「早く終わらないかな」という記憶しか残っていません。家庭科の授業で習ったことも忘れています(そもそも勉強していません)。料理手芸クラブに所属していましたが、活動の95パーセントは手芸でしたし、残りの5パーセントも食べるだけで料理はしていません

レシピがないのですから、調味料の量も適当ですし、炒め時間、茹で時間なども感覚でやっています。また、料理中の味見もしません。「いかに早く、効率的に作り、後片付けできるか」というスピードだけを重視しているため、「他人に出せるような料理ではないだろうな」と予想していたのですが、妻いわく「普通に美味しい」そうです。彼女は味にかなりうるさい人なので、「配偶者に対する社交辞令、あるいはお世辞」もしくは「普通に美味しい、という評価が事実」という可能性が挙げられます。お世辞を言ったところでメリットはないので、後者の可能性が幾分高い気がします。

レシピの類を読んだことがないと書きましたが、何の参考もなしに料理しているわけではありません。妻が料理しているところを見ていますし、「これはどうやって作ったの?」と質問することもあります。妻のやり方とその料理を食べれば「ここをこうすれば、こうなる」といった法則がある程度わかります。この部分が「才能があるかもしれない」と思ったポイントです。「どうしてわかるの?」と訊かれても「なんとなく」としか言いようがないのです。「作り方を教えて」と訊かれることもありますが、上手く伝えることができません。なにせ、適当に作っただけなのです。



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才能がある、といっても万能ではありません。まず、わからないものは作れません。食べたことがないものはもちろん、いつも作っているのが「自分と妻の2人分」であるため、1人分や3人分以上など、量が変わると作れなくなります。また、同じ料理をもう1度作るなどの再現性はないですし、作ろうと思っても「前とは違う風にしよう」と余計なことをしてしまいます。そして、見た目や栄養価など、興味がない部分をコントロールすることはできません。もっと上手く盛りつけられたら「ティモ飯」といってインスタグラムに投稿するのですが、それもできません。

このように、才能があってもビジネスに繋がるとは限らないのです。音楽の世界で「才能が欲しい」と言う方がいらっしゃいますが、才能が欲しいのか、ビジネスで成功したいのか、自分の中で明確にしておかないと、どっちも取り逃がすことになります。また、ビジネスで成功する夢を諦める際に「才能がないから」と言う方もいらっしゃいますが、両者に因果関係はなく、適当な理由にはなりません。

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