SNSに愚痴を投稿することは悪いことなのか

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TwitterやFacebookなどのSNS上に、仕事の不満や他者に対する鬱憤を吐きだす投稿(つぶやき)が多々見受けられる。皆が皆そういった投稿をしているかと言えばそうでもなく、大抵は同じ人が同じような愚痴を、ほぼ毎日投稿している、といった傾向がある。似たようなフラストレーションを、おそらく全ての人が毎日感じていると思うけれど、それを投稿(多くの場合、不特定多数に公開)するのとしないのとでは、大きな違いがある、と言えるだろう。

まずは、愚痴を投稿するメリットについて考えたい。愚痴にも色んな種類があるとは思うけれど、大半は「ある問題があって、それに対する不平不満を言語化したもの」である。一応、辞書には「言ってもしかたのないことを言って嘆くこと」と定義されている。つまり、具体性のない、感情的な発言のことを指している。愚痴の内容にもよるけれど、一般的に人は、問題自体が解決しなくとも、その感情を吐きだすことで安定する。これは、枕に顔を埋めて叫んだり、ノートに書き出したりすることでも同じ効果があるのだけれど、枕は家にしかないし、ノートを持ち歩いている人は少ない上に、両手を使うし、机が必要だ。その点、携帯やスマートフォンであれば、片手でいつでも感情を吐露することができる。平たく言えば、「お手軽」なのだ。手の平サイズの安定、とも言える。

しかし、枕やノートと違い、SNSはソーシャル・ネットワーク。他人が観覧するものであり、いわば、あなたという人の広告塔なのだ。仮に、【櫻井ティモ:あー、今日のライブかったりいし、あのメンバーがマジで気に食わねえ】といった広告があったとする。きっと、「この櫻井っていう人は仕事に不忠実で、人間関係を上手く築けない人なのだな」という印象を受けることだろう。実際にそういう人であるかどうかは問題ではない。見た人の購買意欲を削ぐような印象を与えた時点で、広告として無能である。実際にビジネスに繋がるかどうかは別としても、あなたという商品価値を下げるのは大きなデメリットだと言える。

それに、愚痴を書くためには、時間を浪費する。個人的には、こちらのデメリットの方が深刻だ、と思っている。「仕事が忙しい」といった投稿を目にするけれど、それを投稿できる時点でまだ余裕があるだろう。本当に忙しい人は、投稿する暇なんてない。大学時代、学生の多くが頻繁にパーティをしていたが、その主たる目的は交流ではなく、大学の不満や愚痴を述べる、というものだった。櫻井は、そもそも英語が喋れなかったし、愚痴を言えるほど余裕もなかったので、同級生がパーティしている間に課題に取り組んだ結果、実技科目では首席を取った。櫻井が正しい、ということを言いたいのではない。何に価値を置くか、それは人それぞれだ。

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