ラブ・ソングは賛美歌になり得るのか

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「その辺のラブ・ソングだって、神様に向かって歌えば賛美歌になる」という風なことを言っている人がいた。察するに「その辺のラブ・ソング」とは、男女の愛を歌ったポピュラー音楽のことだろう。その人は「大事なのは心だ」ということを強調していたが、どうも現在の賛美歌の現状に不満を抱いているような印象を受けた。

音楽的には、巷で流行っているラブ・ソングと賛美歌にほとんど違いはない。日本で賛美歌というと、パイプ・オルガンに合わせてコーラス・グループが歌うイメージ強いけれど、実際はエレキギターもドラムもあるし、ジャンルで言えば「ロック」に近い。

最大の違いは「歌詞」だ。ポピュラー音楽では「君が好き」という直接的表現や「なんでもないようなことが幸せだったと思う」みたいな詩的(芸術的)表現で愛を語る。一方賛美歌は、「主の血潮」「勝利の子羊」といったキリスト教の専門用語を用いて愛を表現する。現状に不満があるとすれば、この歌詞の違いにつまずいているのではないか。

では、キリスト教の専門用語を用いず、詩的表現だけで賛美歌は成り立つのだろうか。たしかに、聖書には「主は心を見る(1サムエル16:7)」と書かれているし「詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい(コロサイ3:16)」とも書かれている。重要なのは心だ。

しかし、神様の言葉なくして神様を意識するより、神様の言葉を使って神様を意識する方が容易い。キリスト教の専門用語を使わなくても良いが、使った方が心を込めやすいのだ。虎舞竜の歌で神様を賛美できる人もいるかもしれないが、過半数ではない。ロードを歌って思い浮かべるのはイエス・キリストではなく、高橋ジョージだからだ。

よって、ラブ・ソングは賛美歌になり得るが、最適でない。自分の持っているベストを捧げてこその賛美である(創世記4:4、1コリント9:25)。

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