逃げちゃダメなのか

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「逃げる」という行動は「臆病」とか「脆弱」といったニュアンスを持っているせいか、どちらかと言えばネガティブな行ないとして扱われることが多かった。特に日本では武士道精神というか、戦って死ぬことが美徳とされてきた歴史的背景もあるため、逃げる(=戦わない)ことを選択するのは恥とされてきたのだ。敵のトラップにかかったヒロインが「逃げて!」と訴えているのにも関わらず、「君を助ける!」と自分が犠牲になる漫画の主人公がこれにあたる。「ここは一旦退いて、態勢を整えよう」とヒロインを見捨てる冷静な主人公は、たぶんいないと思う。

辞書を引いてみると、「危険を避けて、相手の力の及ばない所へ去る、また身を隠す」と定義されている。端的に言えば、危機回避だ。危機回避は良い悪い以前に生物の本能であり、極めて自然な動作である。つまり、「逃げちゃダメ」というのは「逃げる」という行動を非難しているのではなく、「逃げてはいけない状況で逃げた」という選択を非難しているものと考えられる。一般人が街中でライオンに出くわして逃げても非難されないが、防護服を着た警察隊が逃げれば「職務を全うしろ」と非難されるだろう。

難しいのは「逃げてはいけない状況というのを、誰が判断するのか」ということである。たとえば前述のライオンの場合、一般人は逃げても非難されないと書いたが、「ライオンの目の前に怪我をして歩けない人がいる」という状況だったらどうだろう。「自分は危ない目に遭いたくない」「助けに行ったところで救える保証はない」「助けを呼んでくる」といった理由で逃げることはできるが、どれも主観であるため、客観的には「見捨てる」と同義である。自分自身に「逃げちゃダメだ」と戒めてしまう人は客観に優れているわけだ。同時に、「世間」という不特定多数を気にするあまり身を滅ぼしている、とも言える。

ただ、最近になって「逃げることは悪いことではない」という考え方が一般的になってきているように思える。抽象的だが、「無理せず、のんびり」「逃げる勇気」「ころんだっていいじゃない」というような、文末に「みつを」と付きそうな楽観を世間が許容し始めている。世間が優しくなった、と言えば聞こえはいいが、虐待やパワハラといった問題を避けるため、というのが本音だろう。そう、この「避ける」という行動も「逃げる」の一種だ。逃げる以外に生きる術がない世の中というのは、果して優しいのか、厳しいのか。

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