暗唱聖句

聖書のことばを暗唱できるように記憶する行為、また、暗唱できるようになった聖書箇所のことを指します。教会の聖書学校や神学校では、「今週の暗唱聖句」といった具合に、暗唱聖句が課題になっていることが多くあります。クリスチャンにとって、日常的な行ないであると言えるでしょう。

どうして暗唱聖句をするのでしょうか。それは、クリスチャンは、「聖書のことばは、神様のことばである」と信じており、その聖書に、「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」と書かれているからです。ようするに、自分を生かしているもの(聖書のことば)を身体の内に蓄えようとする行為、いわば、食事と同じなのです。

暗唱聖句では、「聖書のことば」そのものを覚えるのはもちろん、「どの書物の、どこに書かれているのか」まで覚えるのが一般的です。たとえば、前述の「人はパンだけで~」という聖書箇所は、『申命記』という書物の8章、さらに、8章の中でも3節に書かれていることばです。ハリーポッターで例えると、『賢者の石』(書物名)の○章の○行目といった具合です。ハリー・ポッターは、上下巻合わせても全部で11巻ですが、聖書は、全部で66巻、章数は1,189章、節数は31,173節にまで及びます。

これだけたくさんの聖書箇所があるのですから、百人一首を覚える感覚で、暗唱聖句も100箇所くらい、簡単に覚えられるだろう、と思われるかもしれません。実際にやってみると、物凄くハードです。まず、聖書は、百人一首と違い、五七五七七のように、リズムが統一されていません。また、「ことば、作品名、章、節」と覚える量が多く、「新改訳」「新共同訳」「口語訳」など、訳し方が複数あります。それぞれ見てみましょう。

「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」(新改訳)
「人はパンだけで生きるのではな、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(新共同訳)
「人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きる」(口語訳)

新共同訳では「言葉」、口語訳では「ことば」と、文字表記が微妙に異なっています。この箇所は、比較的違いがありませんが、箇所によっては、大きな違いが表れます。よって、「暗唱聖句100箇所なんて無理やい!」というのが本音です。



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ところが、最近読んだ『エゼキエル書』という書物に、こんなストーリーがあります。ある日エゼキエルさんは、神様によって、とある建物(神殿)へ連れてこられます。すると、その建物の門番にこんなことを言われました。

「人の子よ。あなたの目で見、耳で聞き、わたしがあなたに見せるすべての事を心に留めよ。わたしがあなたを連れて来たのは、あなたにこれを見せるためだ。あなたが見ることをみな、イスラエルの家に告げよ」(エゼキエル40章4節)

つまり、「今から見るもの、聞くものを全部覚えなさい」と言ってきたのです。この聖書箇所以降に何が書かれているかというと、建物の測量です。塀の高さはどれくらいだとか、門の敷居はどれくらいだとか、測りざおを使って正確な単位を調べていくのです。それが42章まで続きます。想像を絶する記憶作業です。しかし、40章から42章までの記述を元に、実際に建物の設計図を書いてみると、建築士顔負けの正確な図になります。

エゼキエルはやってのけました。諦めてはいけません。

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