教則ビデオやクリニック、体験レッスンなど、影響を受けたドラマーは、数えきれないほどいます。中でも、長期間に渡って直接ドラムを習った「先生」と呼べる人は、高校時代に1人、専門学校時代に4人、大学時代に2人、合計7人います。ドラム講師を志したのが専門学校に入る前で、彼らの教え方がどういったものか、注意深く観察していました。いずれも、一流の素晴らしいドラム講師です。
最初の先生は、高校の3年間という、長い期間に渡ってドラムを習いました。当時の僕はジャズ・ドラムが叩きたかったのですが、先生が勧めたのは、レッド・ツェッペリンとジェフ・ベックで、『移民の歌』や『カム・ダンシング』を叩かされていました。先生が「この時代のドラマーは、みんなジャズ叩いていたから」と言うので、「だまされてるんちゃうか……」と思いつつ練習したわけです。見事に騙されました。青年期真っ盛りだったこともあって、最も反発した先生でした。しかし、ドラマーとしての技術や精神面において、最も影響を受けた先生であることは間違いありません。
専門学校へ入学して初めて会ったドラム講師は、僕がスタジオで練習していると、突然部屋に入ってきました。そして、僕の演奏を聞くなり、「使いものにならんわ」と言い捨てたのです。言い方がとても暴力的で、端的に言えば、「鬼講師」です。ただ、言っている内容はいつも正しいですし、ドラムや音楽、仕事に対する姿勢は、まったく一緒だ、と言っていいほど共感できる人でした。なにより、超がつくほど不器用だった僕に対し、「お前は絶対にプロになる」と断言したのは、後にも先にもこの先生だけです。まさに、人生を変える励ましの言葉でした。プロになった今でも、心から尊敬している先生です。
専門学校1年次にドラムを習ったもう1人の先生は、ドラマーとして最も憧れている人です。本人は「俺はそんなに上手くないし」と極めて謙虚なのですが、一発一発の熱量や、叩いていない空間部分が洗練されていて、たぶん、生まれて初めて「こういうドラマーになりたい」と思った人です。習うだけでは物足りず、ライブへ行って技を盗もう、と積極的にさせたのもこの人だけです。
専門学校2年次に入って最初にドラムを習った先生は、明るくて優しい面白い人なのに、教え方は「ある一定のレベルに達するまで次の課題には進ませない」と徹底していました。ほんのちょっとでもミスをすると、「んー来週もっかいね」と、笑顔で恐ろしいことを言う人でした。人間的にすごく良い人でしたが、ドラムに関して彼以上にストレスだった先生はいません。そして、彼以上に僕をドラマーとして成長させた先生もいません。
専門学校で4人目の先生は、いかにも「ドラマーらしい先生」で、とにかく技術面の向上にフォーカスする先生でした。僕にとって苦行となるレッスンの連続で、心の中で反発しつつ、ただルーチンで従っていたせいで、習ったことの半分も適用できていません。その半分以下の内容が、後に大学で習う「リズム・トレーニング」という授業のすべてでした。彼に習っていなければ、実技科目首席という成績は取れなかったでしょう。
大学に入って最初の先生は、元トランペッターという異色の経歴で、ジャズ・ドラムを習いたい、という僕の夢を叶えてくれた人でした。特に、念願だったブラシ奏法を基礎からしっかり習えたのは、貴重な財産です。僕の叩くジャズ・ドラムは、すべて彼の影響を受けたものと言えるでしょう。彼から学んだ練習方法を今も続けており、今後も続いていくものと思われます。
大学最後の先生は「変拍子ラテン」の第一人者で、他にもメトリック・モデュレーションなど、より先進的な技術を教えてくださりました。また、ドラム講師として非常に長いキャリアを持っている人でもあり、具体的なレッスンの進め方やドラム講師試験の相談をしたこともあります。ドラマーとしても、ドラム講師としても、大きな一歩を踏み出す背中を押してくれた偉大な先生です。
最大級の敬愛を込めて。