楽器練習の定義

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人によって定義は異なると思うけれど、「練習」という言葉を辞書で引くと「技能・芸事が上達するように同じことを繰り返しならうこと」と定義してある。櫻井の定義も比較的近いけれど、こと楽器に限定するならば「できないものをできるようにするための、メトロノームを使って行なう周期運動」、これに尽きる。できるもの、メトロノームを使っていないもの、運動が連続していないものは練習にあらず、というわけだ。タイトルに「楽器練習」と書いてあるように、ドラムに限った話ではない。つまり、音源に合わせて演奏したり、バンドで音合わせしたりするのは、単なる「リハーサル(確認)」であって練習ではない、と櫻井は考えている。

もちろん、「できないものをできるようにするための、メトロノームを使って行なう周期運動」をバンドで行なうことも不可能ではないけれど、メンバー全員のできないものが必ずしも一致するとは限らない。AができないボーカルのためにAを練習している間、Aができる他のメンバーは練習していない、ということになってしまう。ゆえに、練習はスタジオに入る前に個人で行なう方が効率的だし、最低限のマナーであると思う。

それにも関わらず、バンドでスタジオに入って練習を始めるミュージシャンが、櫻井の周りには非常に多かった。ほぼすべて、と言っても過言ではない。そういう人間に限って、「ちゃんと自主練したのだけれど」と言うのだ。過去にブログで何度も書いたことだけれど、練習とはみっともない行動である。「練習した」と発言するのは、能力の欠陥を告白しているのに等しい。みっともない行動は悪である、とまでは言わないが、それを誇ろうとするのは滑稽というか、馬鹿である。

自分は練習している、と主張している人ほど、ただ無作為に楽器を触っていたり、音源に合わせてカラオケしているだけだったりする。ようするに、遊んでいるのだ。櫻井は人一倍不器用だし、音楽の才能なんてこれっぽっちも持ち合わせていないけれど、遊んでいるだけの連中よりは上手くなる自信があったし、事実そうなった。遊ぶのは悪いことではないし、上手いから偉いというわけでもないが、そういう連中とは関わるだけ時間の無駄である。

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