イエス・キリストの何がすごいのか

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イエス・キリストとは、いわゆる「キリスト教」の信仰の対象である。宗教に馴染みのない日本でも名前くらいは広まっていると思う。世界的に見ればおよそ3人に1人がクリスチャン(キリスト教徒)であるが、日本国内においては100人に1人もいないと言われている。そのためキリストに対する認識が浅く、せいぜい「水の上を歩いた人でしょ」程度にしか理解がない。そんなファンタジー要素だけが評価されて世界的な宗教になるのであれば、ライトノベルの登場人物はほとんど神様になってしまう。

「キリストの何がすごいのか」をクリスチャンに訊ねると、大抵は「神の一人子である」とか「あなたの罪のために十字架を背負われた」という答えが返ってくる。クリスチャンにとっては疑いようのない真理だけれど、ノンクリスチャンにとっては意味不明だろう。今のシーズン、一部のクリスチャンが路上で大声を出しているのはこの類の演説であるが、大多数(具体的には、100人中99人)は「騒音」と感じているだろう。目的にもよるけれど、「キリストのすごいところを伝えたい」という思惑があるなら路上演説は逆効果なので、やらない方がベターである。

ではノンクリスチャンにもわかりやすい、イエス・キリストのすごいところは何か。それは、約170万文字あるとされる聖書のことばを、たった53文字に要約した点にある、と櫻井は思う。パーセントにするとおよそ0.0031パーセント、つまり、およそ99.9969パーセントも削っているのだ。

そもそも聖書とは、宗教家にとって「人生の参考書」のようなものである。そこに書かれているのは単なる文字ではなく神様のことばである、と信じているのだ。その教えに従うことが信仰であり、宗教の本質である。ところが、聖書のことばは1つでも、それを読み解く人間は複数いるゆえに「独自の解釈」というものが生まれてしまった。たとえば、「あなたの父母を敬え(出エジプト20:21)」と書いてあるのに、「神へ供え物をしていれば、父母に対して何もしないでよい」と解釈する人が出てきたりしたのだ(マルコ7:11-13)。こういった意見の不一致が「○○派と××派」という細分化を生んでしまったのである。

その不一致を53文字の言葉によってまとめたのが、イエス・キリストである。すべてを1つにまとめることは適わなかったが、2000年以上経った今も人類のおよそ3分の1をほぼ一致させているわけだから、究極のリーダーシップと言えよう。世界中で誕生日が祝われるわけである。アーメン。

ちなみに、イエス・キリストが言った53文字は、以下の通り。

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ(マタイ22:37)」
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ(マタイ22:39)」

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