ルーツを辿れ

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音楽に限った話ではないと思うけれど、特定のジャンルを研究したり上達させたりする際「ルーツを辿れ」とアドバイスされることが多い。ルーツとは、そのジャンルの源流となった音楽、またはアーティストのことを指している。「源流」という言葉を使ったが、時系列上最も古いジャンルを指しているとは限らない。たとえば、ジャズのルーツは「1940年代のビ・バップである」という認識が一般的だけれど、これは即興演奏の確立、和声・リズムの進化などの歴史的・音楽的発展が起こったからであり、ビ・バップ以前にもビッグバンド・ジャズやディキシーランド・ジャズ、ラグタイムなど、掘り下げればキリがないほどルーツとは根深いものである。

なぜ「ルーツを辿れ」とアドバイスされるかというと、ジャンルの中でも近代・現代の音楽やアーティスト「しか」聞いていないミュージシャンが多いからである。ジャズ専攻の音楽大学に通っていて、チック・コリアや上原ひろみは知っているのにキース・ジャレットを知らないピアニストがいたし、デイブ・ウェッケルを本気でジャズ・ドラマーだと思い込んでいるドラマーもいたくらいだ。悪意のある書き方をしたけれど、要するに「一部だけを聞いて、そのジャンルを極めたと思い込むな」という戒めが「ルーツを辿れ」には含まれている。逆を言えば、「チャーリー・パーカーは知っているけれど、ジョシュア・レッドマンは名前しか知らない」というのも具合が悪い、ということである。

また、演奏面から見ると「ルーツの方が技術的に簡単」である場合が多い。ビ・バップの曲はほとんどが「ワン・トゥー・スリー・フォー」でカウントできる4/4拍子であったが、現代では27/16拍子など訳のわからないリズムの曲が多数存在する。小学校の算数が足し算から始まったように、学問は簡単な分野から手をつける方が確実に上達する。ルーツも辿らずに「自分は近代・現代の音楽ができます」と言うのは、「自分は微分・積分できる」と言っている小学生と同義である。もちろん微分・積分できる小学生もいるけれど、稀有な存在、いわゆる「天才」だ。自分は凡人であることを認め、おとなしくルーツを辿った方が、結果として最短距離になるわけである。

櫻井はジャズの中でもビ・バップが特に好きで、自分でもルーツを辿っていると思い込んでいたけれど、ディキシーランド・ジャズのセッションに参加した際、まるで叩けなかった苦い経験がある。ビ・バップのテクニックを使うと、ミスマッチになってしまうのだ。ホストの方に話を伺うと「ディキシーの演奏はテクニックに限界がある分、歴史的背景や歌詞などを理解し、それを表現することで補っている」という風なことをおっしゃっていた。「見えないものを音で表現する」というのが、すべての音楽のルーツなのかもしれない。

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