困った時の神頼み

正確には「苦しい時の神頼み」です。「窮地に立たされている人が、信仰する神に助けを求めている様子」を表しているように思えますが、実際は「普段は信心していない人が、災難にあっている時だけ神頼みしている身勝手な様子」を表した言葉です。そのため、神頼みしている相手を非難したり、揶揄したりする時に用いるのが本来の使い方です。そもそも日本では熱心に信心している人が少ないため、「神は死んだ」や「自力で頑張れよ」の類義語くらいに考えていいのではないでしょうか。

僕は、不測の事態に陥ると困る傾向があります。綿密な計画を立て、あらゆるトラブルを見越してことを進めるのですが、予想だにしないハプニングに遭遇すると混乱してしまいます。こうなった場合、僕が最初にとる行動は「怒る」です。自分を含む、不測の原因に対して怒りをぶつけながらフォローしようとします。それでも解決しない場合、今度は「落ち込む」とか「泣く」といったダウナー系の症状が現れ始めます。怒り状態よりは多少冷静なので、解決することもままありますが、自分の力ではどうしようもない問題に対しては成す術がありません。ここまできてやっと僕は「祈り」、つまり、「神頼み」をするのです。

聖書には「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない」と書かれています(箴言16:8)。「ゆだねる(委ねる)」は「身を任せる」という意味なので、「神頼み」と同義です。聖書の順序に従うなら、計画を立てる時点で神頼みをするのです。また、嵐によって船が転覆しかけ、助けを求めた弟子たちにキリストが「信仰がない」と言うシーンもあります(マルコ 4:35-40)。困った時の神頼みは、聖書的にも是とされていません



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いついかなる時、どんなことにおいても、初めに神頼みができる人になりたいものです。

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