以前、ジャズ音楽の定義をしたことがありましたが(参考『ケニーGで見る、ジャズ音楽の定義とカテゴライズの真意』)、ロック音楽の定義はもっと難しいと言えます。一般的には、「アメリカのリズム&ブルースやフォーク音楽を激しくしたもの」と定義されますが、この「激しく」という部分が曖昧なのです。「音量を大きくする」「音数を増やす」といった音楽的な激しさにせよ、アーティストの「主張」や「歌詞の過激さ」といった観念的な激しさにせよ、明確な基準がありません。仮に、「ここまで激しかったらロックです」という基準を設けたところで、「そんな基準に従うなんてロックじゃない!」と言われてしまいます。
「激しさ」というのは、人の感覚によるものであり、それゆえ個人差が大きく出ます。たとえば、「ロックのアーティストと言えば?」と街頭でアンケート取ったとしましょう。ある人は「エルヴィス・プレスリー」と答えるでしょうし、「ビートルズ」「矢沢永吉」「B’z」と答える方もいるでしょう。今挙げたアーティストだけでも、てんでバラバラです。強いて共通点を挙げれば、「歌があること」「男性であること」くらいでしょう。この定義だと、ジャニス・ジョプリンはロックでない、ということになります。ギター主体の演奏形態であることが多いですが、それだとリトル・リチャードはロックでない、ということになります。このように、一般的な価値観で定義しようとすればするほど、泥沼化してしまうのです。
演奏の場においても、「ロックに叩いて」と言われることがあります。「そうか、ロックか」と思いっきり叩くと、「うるさい」と言われてしまいます。どういうこっちゃねん、と思いつつ、試行錯誤するも、結局、普通の8ビートに落ち着くわけです。僕は、「ドラムだけじゃなく、バンド全体で音量を上げなければロックにならない」と思っていますが、それもごくごく個人的なものであって、一般的なものではありません。
前述の記事にも書いていますが、カテゴライズとは、知識のある人が知識のない人のために、ある程度指針を立てるために行うものです。しかし、ロック音楽とは、知識、つまり、頭で理解するものではなく、感覚的な要因が大きいため、カテゴライズしづらいのです。
ちなみに、僕が個人的に、ロックだと思う要素は、「音量」の他にもうひとつあります。Blankey Jet Cityの浅井健一氏の言葉です。
100回演奏して100回違うことするのがジャズ、100回演奏して100回同じことするのがロック。