トゲのある言葉

誰にどう褒められたかはあまり覚えていませんが、誰にどうけなされたかはよく覚えています。人間がそういう風にできているのか、僕の悲観的な性格によるものなのか、原因はわかりませんが、嬉しかったことよりも辛かったことの方が記憶に残っています

高校時代、僕はギターを弾いて、ボーカリストの友人とデュオで演奏したことがあります。ステージで披露したわけではなく、軽いお遊びのつもりで演奏したのですが、それを聞いた先輩が「こんな下手くそなギターでよく歌えるね」と言ったことを今でもずっと覚えています。こないだブログに書いた『JUDY AND MARYのトラウマ』もそうですが、この手の思い出は音だけでなく映像までフラッシュバックします。

嫌な思い出ですし、いまだに心がざわつきますが、ギターやドラムが下手なのは事実だったので、根に持っているわけではありません。もう10年以上前なので、あの頃よりは上達しているでしょう。しかし、家の鏡の前でギターを構える時は「自分は世界一イケてるギタリストだ」と悦に入っているのに、いざ人と合わせると一気に自信がなくなります。不安を感じるうちは、まだまだ実力不足でしょう(参考『家ではちゃんとできるのに、人前だと上手く演奏できないのはなぜか』)。



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ただ、この苦しみによって今まで成長してきたのだ、とも思います。正確には、嫌な思いをいつまでも覚えていることによって「もう2度とあんな思いはしたくない」と緊張し、楽器に長く触れたり、集中して演奏したりするなどの対策を取るようになったためです。この苦しみを忘れてしまっていたらここまで上達できなかったでしょうし、今後も成長することはないでしょう。

聖書には「主の力は弱さの中に現れる(2コリント12:9)」と書かれてありますし、「耐えられないような試練には会わせない(1コリント10:13)」とも書かれています。痛くても、トゲのある言葉は恵みです。

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