講師の功績

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先日、あるドラム講師のプロフィールに「自分の生徒が素晴らしい功績を残した」というような記述をしているのを目にした。どうして自分のプロフィールに他人の功績を載せるのか疑問だったので、しばらく考えてみたところ、「そのドラム講師は自分の指導のおかげで生徒が成功した、と思い込んでいる」という結論に至った。言うまでもないけれど、その功績は生徒によるものであって、講師とは無関係である。

なぜ、そのような思い違いをしてしまうのか。おそらく、このドラム講師は「自分が生徒を進化させた」と勘違いしているのだろう。進化とは、「させるもの(他者の干渉)」ではなく、「するもの(当人の行動、変化)」である。他人の干渉で進化するケースなんて、生体実験かポケモンくらいだろう。「生徒の進化を助けた(生徒を育てた)」くらいなら言ってもいいかもしれないが、実際に生徒の助けになっているか、講師には判断できないし、仮に助けになっていたとしても、生徒の進化が生徒のものであることに変わりはない。

では、講師の功績とは何か。「自分が育てた生徒が偉大なミュージシャンになった」は前述の通り、偉大になったのは生徒の功績であるため論外。「教え方(生徒に何をどう教えたか)」も絶対的なものではないし、それが功績になり得るか、やはり講師には判断できない。最も客観的かつ確実な評価は「生徒数」、あるいは「報酬の額」である、と思う。その講師が有能であれば、生徒は自然と集まる。こないだ、島村楽器でトップレベルの生徒数を持つ先生のレッスンを見学しに行ったけれど、器材環境、不測の事態への備え、カリキュラム、フォローなど、どこをとっても抜かりがなかった。その先生は「数は重要でない」とおっしゃるが、人が集まるところにはそれなりに原因があるのだ。

音楽専門学校の案内(パンフレット)で「当校出身のミュージシャン」というページがあるけれど、あれを見るたびに「この学校は儲かってないのだな」と思う。儲けがないというのは、それだけ生徒がいない、つまり、大したことを教えていない、という意味だ。「在籍している生徒数と、その詳細」、もしくは「音楽教育業務における収益額」を書いた方がよっぽど効果的だろう。ましてや「つながっていく音楽への思い」などと、わけのわからないキャッチ・コピーを飾っているような専門学校に未来はない。

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