弱い犬ほどよく練習する

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ミュージシャンがFacebookやTwitter上で、「まだまだ練習が足らない」「今日は〇〇を××時間練習した」といった「練習に関するつぶやき」をしているのをよく目にする。どういった意図があってそういう投稿をするのか理由はわからないけれど、もし「練習=格好良いこと、誇らしいこと」という思惑があるなら注意が必要だ。「練習する」というのは格好悪いことであり、恥じるべきことである。

そもそも練習とは「できないことをできるように訓練すること」である。つまり「練習が必要だ」と言うのは、「できないことがあります」と自分の未熟さを言い表しているのに等しい。謙遜な姿勢は評価されるべき点かもしれないけれど、「練習する」というのが劣っている行為であることは明白である。

櫻井はよく、教師からも生徒からも「お前はよく練習している」と言われている。言っている当人は褒め言葉のつもりで言っているのかもしれないけれど、櫻井はまったく嬉しくない。たしかに、櫻井は大学の中で最も長い時間集中して練習している生徒かもしれない。それはつまり、大学の中で最も劣った生徒である、ということだ。「練習が好きなんだね」と言われることもあるが、冗談じゃない。練習しないでいいなら誰が練習なんてするものか。

「練習が楽しい」と思っている人も気を付けた方がいい。楽しいと思った時点でそれは練習でなくなっている可能性が高い。自分の未熟さと対面するのだから、恥ずかしいとか、イライラする、呆れる、退屈といったネガティヴな感情が起こるのが普通だ。これは個人に限らず、バンド・アンサンブル練習にも共通する。楽しむな、という意味ではない。適度に楽しむことは大事だけれど、その間は上達しない、という意味だ。

練習したかどうかなんてどうでもいい。できるかできないか、それが問題だ。

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