ハードボイルドに憧れて

ハードボイルドとは、映画や小説など、フィクションのカテゴライズで用いられることが多い言葉です。直訳は「むっちゃ茹でる」と意味不明ですし、意訳しても「とにかく渋い」と抽象的です。ホットよりはクール、ブライトよりはダーク、ヤングよりはアダルトで、クリーミーよりはスモーキーです。伝わるでしょうか。辞書では「非情なこと、人情や感傷に動かされないで、さめていること」と定義されていますが、当ブログにおけるハードボイルドは、僕が考える、もう少しマイルドなものであることを注釈しておきます。

小学生時代の僕は、足の指がつりそうになるくらい背伸びをしていて、ハードボイルドは憧れの対象でした。映画『逃亡者』や『追跡者』のトミー・リー・ジョーンズみたいになりたかったですし、「将来は神宮寺三郎になる」と息巻いていました。過去形で書きましたが、憧れは継続中です。『逃亡者』のトミー・リー・ジョーンズの年齢まであと16年、神宮寺三郎まではわずか1年ですが、少しも彼らに近づけていません。たぶん、これまでの生き方がぬるま湯だったのでしょう。ハードボイルドになるにはちょっと温度が足りていない、というわけです。

ハードボイルドへの憧れは、音楽面にも表れています。ジャズを好んでいるのもそうですし、太いスティックを使っているのも僕がイメージしているハードボイルドに則しているからです。音作りをする時、僕は「白い音」になるようイメージしていますが、この「白い」はよくある「明るい」「清純な」「透明感」といったものではなく、曇って先が見通せないのようなイメージです。これもまた、僕がイメージしているハードボイルドに則しているのです。



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心の中ではタバコをふかしながらトレンチ・コートの襟を立てる武骨なタフガイを演じていますが、現実ではタバコを吸ったことがありませんし、10年くらい前に買ったダッフル・コートをいまだに愛用しています。タフガイを現実にできるような経済的余裕がないことを自覚しているのでしょう。自覚がなければ生きていけません。しかし、憧れがなければ生きていく資格がありません。

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