
もともとは「電車オタク」など、ある特定の分野において趣味が突出している人物のことを指していましたが、現在はアニメ、漫画、ゲームオタクを指す場合が多いです。英語でも、「Otaku」という単語が意味するのは「日本製アニメや漫画などの熱心なファン」と、分野が限定されています。
何を隠そう、僕もゲームオタクです。スティックを握るずっと前からゲームボーイを操っていましたし、ジャズと出会った書店へ行っていたのも、ゲーム雑誌が目的でした。ゲームをしていなければジャズに興味を覚えることはなかった、と言っても過言ではありません。
今や「日本のオタク文化」と呼称されるほど、オタクは代表的、大衆的、一般的なものになりましたが、現在のオタクと20年前のオタクは必ずしも同じものではありません。たとえば、現在のオタクは「ロボットアニメ好きのAくんと魔女っ娘アニメ好きのBくんが、自分の分野の良い点を理解しない相手を蔑んだり、逆に相手の分野の悪い点を挙げたりして言い争う」といったことがあります。しかし、昔のオタクは「自分の分野をよく知りもしないのに知った風な素振りをする」、いわゆるニワカに対して怒ることはあっても、自分の趣味を押し付けたり、ましてや、相手の分野をけなしたりすることはまれでした。

そもそもオタクとは、あくまで趣味に没頭することが目的であって、他人の理解や共有は不要だったのです。自分の世界を深く掘り下げるために、同じ分野のオタクとコミュニケーションを取ることはあっても、分野の違う相手と言い争うことは無意味なのです。ところが、現在のオタクは「自分の趣味を幅広く知ってもらいたい」「誰かの趣味に共感したい」という趣味の共有化が進んでいます。近年、女性のオタクが増えているのも、これに起因しているのではないでしょうか。
このような変化は悪いことではありませんが、長くは続かないように思えます。また10年もしないうちに、今度は趣味の固有化が進むでしょう(現在もその傾向があります)。そして、この固有化は趣味の世界に留まらず、あらゆる事柄に対し適用されます。固有化が最も安定しているからです。安定や安心を求めるのは、今も昔も変わっていません。