「すごい」で共感できる?

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先日、とある美術展へ行った時のこと。櫻井が作品を見ていると、20代前半の集団が大声で会話しながら近づいてきた。その内の1人が作品を指して「これ、すごくない?」と声を上げる。それは質問になっていない、と聞き耳を立てていると、取り巻きは次々に「うん、すごいね」と同調し始めた。

また、別の作品を見ていると、今度は1組のカップルが近づいてきた。彼氏とおぼしき男性が「これ良いね」とつぶやく。すると、隣にいた女性が「わかる」と言う。その後、しばらく会話を待っていたけれど、2人は全く関係のない話をしながらその場を後にした。

彼らがどうやって会話を成立させたのか、櫻井には理解できない。 「すごい」「良い」だけでは、情報があまりに不足しているのだ。共感しようにも、「どこが?」「何が?」と聞き返さざるを得ない。「よくわからないけれど、良いと感じた」といったインスピレーションを共有しているつもりなのだろうか。よくわかっていないのなら勘違いの可能性だってある。どうしてそれを疑わずにいられるのだろう。

誰かに何かを表現する時は、もう少し頭を使って考えた方が伝わりやすい。たとえそれが「和菓子みたいだ」のように抽象的なものだったとしても、「すごい」よりは伝わる。さらに「なぜ和菓子みたいだと思ったのか」を自問できれば、いずれ論理的に説明できるようになるだろう。本物の語彙とは、こうして養われていくものである。

櫻井の妻は、櫻井が「ほお」と唸っただけで「え、何が『ほお』なの? 今どう思ったの?」と追及してくる。聡明な妻を持って幸せである。ただ、作者でもない櫻井に「これは何を表現しているの?」とか「これはどうやって作っているの?」と訊くのはやめていただきたい。

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