「すごい」で共感できる?

先日、とある美術展へ行った時のことです。僕が作品を見ていると、20代前半の集団が大声で会話しながら近づいてきました。その内の1人が作品を指して「これ、すごくない?」と声を上げました。それは質問になっていない、と聞き耳を立てていると、取り巻きは次々に「うん、すごいね」と同調し始めたのです。

また、別の作品を見ていると、今度は1組のカップルが近づいてきました。彼氏とおぼしき男性が「これ良いね」とつぶやきます。すると、隣にいた女性が「わかる」と言いました。その後、しばらく会話を待っていましたが、2人は全く関係のない話をしながらその場を後にしました。

彼らがどうやって会話を成立させたのか、僕には理解できません。 「すごい」「良い」だけでは、情報があまりに不足しているのです。共感しようにも、「どこが?」「何が?」と聞き返さざるを得ません。「よくわからないけれど、良いと感じた」といったインスピレーションを共有しているつもりなのでしょうか。よくわかっていないのなら勘違いの可能性だってあります。どうしてそれを疑わずにいられるのでしょうか。



★オススメ ライブ




誰かに何かを表現する時は、もう少し頭を使って考えた方が伝わりやすいと思います。たとえそれが「和菓子みたいだ」のように抽象的なものだったとしても、「すごい」よりは伝わります。さらに「なぜ和菓子みたいだと思ったのか」を自問できれば、いずれ論理的に説明できるようになるでしょう。本物の語彙とは、こうして養われていくものです。

僕の妻は、僕が「ほお」と唸っただけで「え、何が『ほお』なの? 今どう思ったの?」と追及してきます。聡明な妻を持って幸せです。ただ、作者でもない僕に「これは何を表現しているの?」とか「これはどうやって作っているの?」と訊くのはやめていただきたいです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


上部へスクロール