平成の二宮金治郎

電車にまつわる思い出話をひとつ。

僕は、高校が都内の学校で、卒業後も都内で働き始めたため、ほとんど毎日、電車通学(通勤)をしていました。住んでいたのは、埼玉の南の方なので、東京とさほど距離は離れていませんでしたが、のろまな私鉄電車しか走っておらず、急行を乗り継いでも片道およそ1時間半かかっていました。日曜日には、東京を飛び越えて横浜の教会へ通っていて、これは2時間以上かかっていました。

往復で3時間から4時間、ぼーっとするには、あまりにもったいない時間です。この時間を何とか有効活用できないものかと考えて、はじめに思いついたのは睡眠でした。しかし、行きと帰りのラッシュの中で座れることはまれでした。ドア付近や吊り革に捕まっていれば、立ったままでも眠れましたが、安眠は困難でした。学校の友人や職場の同僚の意見を聞いたところ、「携帯ゲーム機で遊ぶ」「動画やワンセグを携帯端末で見る」「漫画雑誌を読む」といった意見が挙がりました。中でも「動画を見る」は、非常に魅力的な案でした。3時間もあれば、1日に1本は映画が見られます。ただ、動画を再生できる端末を持っていませんでしたし、そもそも、どうやって動画をファイル形式にするのか知りませんでした。「ポータブルDVDプレイヤを買おうか」とも検討しましたが、当時は絶望的にお金がなく、そんな贅沢は夢のまた夢でした。



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そんな時、ふと「ショルダーバックを前に持って机代わりにすれば勉強できるのではないか?」と思いつきました。いざやってるみると、これが意外とイケるのです。さすがに、満員電車のドア付近では迷惑行為になりますが、片手で身体を支えられれば、どんな場所でもノートがとれるのです。そういうわけで、さながら平成の二宮金治郎のごとく、電車内学習が始まったのでした。ちなみに、勉強していたのは音楽理論と英語です。どちらも独学で、ゼロからのスタートでしたが、音楽理論は専門学校入学前に基礎をマスターできましたし、英語も留学できるくらいには上達しました。

当時は、そんなに苦しいとは思っていませんでしたが、今思うと、結構大変なことだったかもしれません。今同じことをやれと言われても、きっとできないでしょう(しんどい)。たしかに言えることは、若い時に苦しい思いをした分、後がすごく楽になった、ということです。そして、何か行動を起こす際、「今現在」が自分の最も若い瞬間である、ということです。

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