外見は他人が決める

「がいけん」あるいは「そとみ」と読むこの言葉は、「外から見た様子、見かけ」といった意味があります。普通は生物に用いられ、多くの場合、人間が対象です。この場合の「外」とは「その対象以外の、広い範囲」のことを指し、端的に言えば「自分以外の他人」です。

厳密には、人は自分自身の外見を確認できません。腕や身体はともかく、顔や背中はまず見えません。鏡に映った自分の姿は反転していますし、写真やビデオに映された自分は過去の姿であり、直接目にしているわけではありません。リアルタイムに確認できる方法と言えば、合わせ鏡くらいでしょうか。なんにせよ、外見は自分よりも他人に依存した要素と言えます。

対義語には「性格」が挙げられますが、これは「行動に現れる、その人の感情や思考の傾向」という意味です。本来、性格を知り、性格を決めるのは自分自身のはずですが、「行動に現れる」という点で、他人に依存している点もあります。たとえば、子どもをしつける親は、子どもの目線では「厳しい性格」ですが、親の目線では「優しい性格」と捉えることもできます。現れた行動を見て判別するわけですから、結局これも外見の一種と言えるのではないでしょうか。



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外見は他人の判断基準ですから、自分自身にはどうしようもありません。他人は、ある程度コントロールすることはできても、完全に掌握することは適わないからです。「美しく見られたい」「格好良く思われたい」という願望は他人の目を気にしなければなりませんが、本物の「美しさ」「格好良さ」は、外見とあまり関係がありません。他人の評価に寄らず、美しいものは美しいものとして存在していますし、格好良いものは格好良いものとして存在するからです。

僕は美的センスがあるわけではないのですが、いわゆる「オシャレ」と呼ばれる世界を極めた人たちを見ると、彼ら彼女らは外見を追求しているわけではないように思えます。他人が測る外見に左右されず、自分の内にある「美」に目を留めて作品を作っているのではないでしょうか。このことは、音楽家を含むあらゆる芸術家が学ぶべき姿勢であると思います。

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