型よりも理

とあるカウンセラーが、「欧米のカウンセリングはクライエント(相談者)とカウンセラーの間に神様(宗教)を立てるが、日本では代わりに『型』を立てる」という風なことをおっしゃっていました。この「」とは、伝統習慣形式という言葉に言い換えられる、古の武士社会から伝わる「武士道」のような存在(精神)です。さっするに、クライエントやカウンセラーに属さない「絶対的な存在」を間に挟むことで、カウンセリングが円滑に進められるのでしょう。

個人差はもちろんありますが、基本的に人間は型にはまることで安心感を覚える生き物です。海外では宗教によって安心感を得る術がありますが、信仰に馴染みのない日本では特に型にはまりやすい傾向があるでしょう。「型にはまる」と言うと、少々ネガティブなイメージをもたれるかもしれませんが、型を重んじることで集団を尊重し、日本ならではの「奥ゆかしさ」が生まれているわけですから、決して悪いことではありません。

ドラム・レッスンをしていて思うのは、「型を知りたい生徒様が多い」ということです。たとえば「どうすれば速く叩けるのか」「どんな練習をすれば良いか」のように、手法を求める声が多いのです。英訳すると「How」または「What」を使った疑問ですね。こういったリクエストに対して「スティックを握る力を抜く」のような具体例、つまり「型」を挙げると、大抵の生徒様は満足します。「そうか、握り方を変えれば速く叩けるのか」と、教えられたとおりに型を練習するわけです。



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しかし、型を知ったから上手くなるかと言えばそうでもなく、かえって型に捕らわれてしまう方がいらっしゃいます。「言われた通りにやったのに上手くならない!」という状態です。こうならないように、講師は型だけでなく、「どうして握る力を抜くと速く動かせるようになるのか」という「」を教えなければなりません。「理」を知れば「型」に縛られない、自由な演奏を実現できます。ゆえに、上達に必要な疑問は「How」や「What」だけでなく、「Why」も含まれるのです。

こういった理由で、僕はドラム・レッスン中、生徒様に何度も「どうして」「なんで」と訊いています。生徒様に「理」を意識する習慣をつけていただく目的もありますが、講師が理を求める姿勢を生徒様に見せることが教育になると信じているからです。

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